先祖供養


お盆も終わりましたね。

先日、秋田に訪れた折にも
道の駅の様な所やスーパーなどでお参り用の花が飛ぶ様に売れていました。

土地によって風習も若干違うようですが、お盆には帰省され、親族とお墓参りに行かれる方も多いでしょうね。

私も盆には先祖の魂が戻って来ると子どもの頃から聞かされて育ちました。
迎えや送る為の乗り物だと割り箸で茄子や胡瓜に足をつけるのも遊び感覚でしていた記憶があります。


実家は京都なので、お盆が済むと五山の送り火(大文字焼き)で先祖の魂を送り還すという行事があり、他府県からも観光で来られるので人が多いシーズンになります。


観るだけなら風情があり悪くないですが


ちょっと待って‼︎

その前に、そもそも先祖の魂は還るべきところに還れているのでしょうか?

そんなこと考えたことも無い
といった方がほとんどでは?


斯く言う私も魂を体感するということを知らずにいた頃は、亡くなった人の魂は供養をすることで皆還っていると疑いもせずに思い込んでいました。


魂にも感情があり、体感する事で数多の魂が彷徨い続け、哀しみ苦しんでいることを感じ知ったり、祖母の魂が還れずにいた事にも気づきました。


魂を本来還るべきところへ還す還源が出来るようになった頃

父方の叔父が亡くなりました。
まだ50代半ば胃癌でした。

通夜で叔父の魂を感じていると、読経が始まった途端急に魂が もがき苦しみだし助けを求められるという事態になり驚きました。


癌で髑髏のように痩せ細り苦しみ抜いて亡くなった叔父

亡くなってからも未だ苦しまなければならないのか⁈と不憫に思い読経の間ずっと叔父の魂を癒し続け様子を伺っていました。


葬儀などの儀式をしても還れずに彷徨う数多の魂。

読経で苦しんでいた叔父の魂。


なにかが違う…

彷徨い還れていない魂が在ることは知っていた
けれど魂を癒し還すとされる読経で何故魂は苦しむことになるのか?

叔父に葬儀を待たずに還るべきところへ還りたいか?の問いかけると

必死に懇願する思いが伝わって来ました。


弔問の方との最後のお別れ
お焼香が済むのを待ち
叔父の魂を本来還るべきところに還す(還源)をすると


還るべきところに還れた喜びは
歓喜の涙を流し、やがて安堵感や温かく満ち足り溶け込むような心地良さを感謝の気持ちと共に此方に返してくれました。

叔父の通夜での出来事があってから
誰かの通夜や葬儀に呼ばれると
私は自然と亡くなった方の魂を感じるようになりました。

やはりどの魂も読経が始まると叔父の時のように苦しみを訴えて来ます。

そして還れていない魂を還源すると どの魂もみな同じように満ち足りた安らぎを感じさせてくれます。

体感なく、葬儀をしました。

法要しました。

やることやったから還れているでしょう‼︎

これでは只の自己満足に過ぎず亡くなった方にとっては有り難迷惑。

還れていない魂に安らぎはありません。



貴方が逆の立場なら?

誰にも気づいてもらえず
いつ還れるのかも分からず
悲しみと苦しみで絶望しませんか?


貴方の祖先や大切な方の魂は

安らいでいますか?